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広島高等裁判所 昭和35年(ネ)179号 判決 1966年3月30日

控訴人 誠宏林産株式会社

右代表者代表取締役 高原博

被控訴人 山口市

右代表者市長 兼行恵雄

主文

(一)  本件控訴を棄却する。

(二)  被控訴人は控訴人に対し金八〇万円およびこれに対する昭和三三年三月二一日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

控訴人のその余の請求を棄却する。

(三)  当審における訴訟費用はこれを二分し、その各一を控訴人および被控訴人の各負担とする。

(四)  この判決は控訴人において金二〇万円の担保を供するときはその勝訴部分に限り仮に執行することができる。

事実

控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人は控訴人に対し金一六七万五〇〇〇円およびこれに対する昭和三三年三月二一日から支払ずみに至るまで年六分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一・二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を、また右請求が認められない場合は、訴を変更して、「被控訴人は控訴人に対し金一六七万五〇〇〇円およびこれに対する昭和三三年三月二一日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一・二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を、それぞれ求める旨申し立て、被控訴代理人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の事実上および法律上の主張ならびに証拠関係は、左に附加補正するほか、原判決の事実摘示と同一であるから、これを引用する。

(控訴代理人の主張)

(1)  本件約束手形二通は、何れも、昭和三二年一二月七日被控訴人代表者長井秋穂が受取人欄を白地として振り出したもので、右白地手形のまま、訴外水野繁彦・同美濃部竜一等を経て訴外金月元次郎に引渡しによって譲渡され、控訴人会社は右金月から白地式裏書によってその譲渡を受けたうえ、受取人欄に同人の氏名を記載して補充した。

(2)  右金月は、本件手形の振出人として山口市長長井秋穂の署名捺印があり、同人の印鑑証明書もそえられ、さらに山口市長公印も押捺されていたので、同市長により被控訴人市のため適法有効に振り出されたものと信じて、前記美濃部から右手形の交付を受けたものである。しかも取得にあたり念のため、兵庫相互銀行布引支店を通じて神戸銀行に、市町村が手形を振り出すことのありうることを問い合わせて確認した程で、右金月が前叙のように振出の有効を信じたことについては、過失はない。したがって、同人が被控訴人市に対する右手形上の権利を取得したことを否定しうべき理由はない。

(3)  控訴人会社も右と同様に、市長公印等により、本件手形が有効に振り出されたものと信じて、これを右金月から譲り受けたものであるが、その上、控訴人会社においては、その手形取得前たる昭和三二年一二月二〇日過頃、その取締役木村昌治が金月に同道して山口市に赴き、長井市長に面接しており、その際同市長は、右手形は四億円の予算で施行されることになった市の公会堂新築資材購入のため振り出したものであると言明し、手形振出を確認する旨の書面を金月に交付した。また同月三〇日頃にも同市長は控訴人会社に来訪し、会社代表者等に対して同様の説明をし、手形の振出を再確認した。市の最高責任者のかかる言明がありながら、なお右手形振出行為の適否につき調査すべき義務が控訴人会社に存する筈はなく、控訴人会社において同市長がその権限に基いて右手形を振り出したものと信じたのは正当な理由によるところであるから、右振出が権限踰越行為であるとしても、すくなくとも表見代理の法理が適用され、控訴人会社が右手形上の権利を取得したことが認められるべきである。

(4)  かりに被控訴人主張のような理由により本件手形金の請求が認められないとすると、前叙のような事情に基き、適法に振り出された手形と信じたればこそ、昭和三三年一月二七日、前記金月からの右手形の割引依頼に応じ、満期までの日歩三銭の割合による割引料を差し引いた金一六四万八八七〇円を同人に交付して、手形の譲渡を受けた控訴人会社は、右手形金額に相当する額の損害を被ったこととなる。そしてこれは、被控訴人市の代表者として手形を振り出しうべき職務権限を有する前記長井市長が、その職務を違法に執行して、権限外の手形振出をなし、しかも控訴人会社に対しこれを有効な手形であると確認までして、控訴人会社を欺いた結果にほかならない。よって控訴人は予備的請求として、民法第四四条により、被控訴人に対し、右手形金相当額の損害と、これに対する満期の翌日から支払ずみに至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(5)  控訴人が長井市長の不法行為により損害を被ることあるべき事実を知ったのは本件原判決が控訴人に送達された昭和三五年七月二五日であるから、それまでに損害賠償債権の消滅時効の進行が始まるわけはなく、そして、控訴人は昭和三六年七月六日および同年一〇月一七日付各準備書面によって損害賠償の予備的請求をしているから、これによって右時効は中断している。

(被控訴代理人の主張)

(1)  被控訴人市および市長が一般的に約束手形を振り出す能力ないし権限を有しない旨の主張は撤回する。

(2)  被控訴人市の長井市長が、金月元治郎や木村昌治等と面接した際や控訴人会社を訪れた際に、控訴人主張のように本件手形の有効な振出を確認した事実はない。

(3)  本件約束手形によって控訴人が損害を被ったとしても、これを被控訴人市の代表者が職務を行うにつき加えた損害となすことはできない。市における市長と収入役との権限分掌は法の明定するところであり、手形を流通において資金化をはかり現金を収納する行為は、収入役の専権に属するから、その関与の形跡なき限り、手形の授受による損害は、外形上からも、市の代表者が職務を行うにつき加えた損害とはいえないからである。

(4)  かりに控訴人主張の民法第四四条に基く損害賠償債権があったとしても、手形満期たる昭和三三年三月二〇日から三年を経過したことにより、時効によって消滅している。

(証拠関係)

控訴代理人は、新たに、甲第六号証を提出し、当審証人金月元次郎・同木村昌治・同佐伯為治・同黒岩隆寿(第一・二回)の各証言を援用し、被控訴代理人は、甲第六号証の成立を認めた。

理由

(一)  控訴人が、金額一二五万円、満期昭和三三年三月二〇日、支払地・振出地ともに山口市、支払場所株式会社山口銀行山口支店、振出日昭和三二年一二月七日、振出人山口市長長井秋穂、受取人金月元次郎と記載された約束手形、および金額四二万五〇〇〇円、その他の記載事項は右と同一の約束手形の計二通を所持していることは、被控訴人において明らかに争わないところである。

当事者間に争いのない甲第一・二号証の各一の原本の存在、原審および当審証人金月元次郎同、木村昌治の各証言、原審における被控訴人代表者長井秋穂の当事者尋問の結果に弁論の全趣旨を綜合すると、右二通の本件約束手形は、昭和三二年一二月上旬頃、当時山口市長の職にあった長井秋穂が、かねて自己個人のための金策の世話を依頼してあった訴外水野こと長谷川繁彦の申出に応じ、個人のため金融を得る目的で、もとより山口市議会の議決は経ることなく、それぞれ、約束手形用紙の振出人欄の上部に山口市役所宮野出張所備付の山口市長の公印を押捺し、振出人としての市長名の記名捺印および手形要件の記載はすべて右長谷川に一任して交付し、同人において、振出人欄に山口市長長井秋穂のゴム印を押し、その名下に預かっていた長井の私印を押捺したほか、受取人欄以外の要件欄に前記のような各記載をした上、白地手形としてこれを他に交付譲渡したこと、および、訴外金月元次郎は、同月一五日頃、右手形を所持する訴外美濃部竜一からその交付による譲渡を受け、翌三三年一月二八日、控訴人会社から右手形の割引を受け、同年二月二八日付の白地式裏書によりこれを同会社に譲渡し、同会社において受取人欄に金月元次郎の氏名を記載して補充したこと、を認めることができる。

ところで、地方自治法(昭和三八年法律第九九号による改正前。以下何れも同じ。)第二三九条の二によると、普通地方公共団体は、法令又は条例に準拠し、且つ、議会の議決を経た場合の外、予算で定めるところによらなければ、当該普通地方公共団体の債務の負担の原因となる契約の締結その他の行為をしてはならない。旨定められており、地方公共団体の長のなす手形振出による債務負担行為にも右規定が適用されるものと解すべきであって、前叙認定のとおり、長井市長が自己の金融を得るために(したがって予算で定めるところによったものでないことは明らかである。)、市議会の議決を経ることなく、市長名義を冒用してなした本件約束手形の振出が、同条の規定に違反するものであることは明白である。そして、市町村長の具体的な代表権限は、法定の範囲においてのみ存するにすぎないから、法規に反した右振出行為は、代表権限のない者の行為として、その行為の相手方および爾後の手形取得者等第三者に対する関係においても、それらの善意悪意を問うことなく、本来無効であるといわなければならない。

控訴人は、その後において長井市長が右手形の振出を確認した事実を主張しているが、同市長が前記法令の定めに則って本件手形を振り出す権限を取得した事実は、事後についても認められないから、右手形の振出が追認によって有効になったとすることもできない。

さらに控訴人は、民法第一一〇条の表見代理の法理により被控訴人の手形金支払義務が認められるべきものとする趣旨の主張をしているけれども、同条は、これを手形振出行為に適用するについても、同条にいう第三者は、行為の直接の相手方である実際の手形受取人に限られ、同人において振出行為者に適法な権限があるものと信ずべき正当の理由を有しないときは、その後の手形取得者につき同条の適用を論ずる余地はないものと解すべきである。

そして前叙認定のとおり、金月元次郎は美濃部竜一から本件手形の交付譲渡を受けたもので、右金月も控訴人会社も、長井市長ないしその代行者との間で直接本件手形行為をしたものではない(振出の直接の相手方についての表見代理の成立は、控訴人の主張するところでない。長谷川繁彦をもって最初の手形受取人とすれば、同人は同時に振出行為の代行機関でもあるから、到底表見代理が成立する余地のないことは明白である。)から、金月や控訴人会社のために、本件手形の振出行為につき表見代理の成立を認めることはできない。(ただし、追認についての表見代理の成否は、追認の相手方に関して考察されなければならないが、この点の主張も存しない。またかりに主張したとしても、金月や控訴人会社が長井市長から事後に本件手形の確認を受けた当時、同市長に適法に本件手形を振り出す権限があるものと信じたにせよ、かく信ずるにつき過失の存したことは、後記認定事実に徴し否定しえないところであるから、表見代理の成立を認めうべき限りでない。)

したがって、被控訴人に対し本件手形金の支払を求める控訴人の請求は理由がなく、これを排斥した原判決は正当であって、本件控訴は棄却を免れない。

(二)  次に控訴人の民法第四四条による損害賠償請求について判断する。

本件約束手形が被控訴人市の市長長井秋穂によって無権限で振り出された無効な手形であることは、叙上説示のとおりである。しかし、普通地方公共団体たる市につき手形能力を否定すべき理由はなく、そして、市として約束手形を振り出して債務を負担する行為は、収入役の専権事項たる現金等の出納その他の会計事務には属さず、一般の契約の締結と同様に、これをなすべき場合には、市の一般的執行機関たる市長が市を代表してこれにあたるべき事項である(原審証人中田正作の証言によると、現に被控訴人市においても、市長名義で約束手形が適法に振り出された事実の存することが認められる。)から、さきに認定したような、市長の公印を押捺し市長名義の手形を振り出した同市長の行為は、当該手形の振出に関する具体的権限の有無にかかわらず、行為の外見上、被控訴人市の代表者の職務行為とみられる。

ところで、当事者間に争いのない甲第一号証の一・六および同第二号証の一の各原本の存在、原審における被控訴人代表者長井秋穂の当事者尋問の結果により成立の認められる甲第三号証、原審および当審証人金月元次郎・同木村昌治の各証言および弁論の全趣旨を綜合すると、控訴人会社が前叙のように本件手形の割引に応じたのは、手形上に山口市長の公印および添付の印鑑証明書に符合する長井の実印が押捺されていたこと、市長名義の約束手形が振り出される事例のあることを取引銀行を通じ調査して知ったこと、その上、金月は昭和三二年一二月二三日頃、本件手形が真実被控訴人市の振り出したものであるか否かを確かめるため、山口市の私宅に長井市長を訪ねたところ、同市長は、市の公会堂新築資材購入のために振り出された適法な手形であることを確認した上、翌年一月末日までに同市長が現金を持参して決済するから、銀行に回したりしないよう申し入れ、右の約旨を記載した名刺(甲第三号証)を金月に交付したが、同人と密接な関係にあった控訴人会社からも、取締役木村昌治がその際金月に同道して一部始終を知悉していたこと、そして一二月三〇日頃にも、長井市長が前記長谷川を伴って控訴人会社を訪れ、控訴人会社の板坂社長や木村、金月等に対し、同趣旨の言明を繰り返したこと、等によって、右手形が同市長により被控訴人市のため適法に振り出されたものであると確信していたからであって、右手形振出の事情についてそれ以上の調査を要するものとは考えず、これをしなかった事実を認めることができる。原審における被控訴人代表者長井秋穂の当事者尋問の結果中、右認定に反する部分は措信しえない。

長井市長が本件手形を振り出すにあたり、自己の権限なきことを知っており、また第三者が右手形を有効なものと誤信して取得することにより損害を被ることのあるべきことを予知しうべかりしものであったことは、前記(一)において認定した事実から明らかであるから、同市長の右所為が不法行為を構成し、叙上の経緯から右手形を割り引いて損害を被った控訴人会社に対する賠償責任の原因となることは否定できない。そして右所為は、さきに説示した理由により、民法第四四条第一項の適用上、被控訴人市の代表者の職務行為に該るものというべきであるから、控訴人会社は、その被った損害につき、同条に基いて被控訴人に対し賠償を求める権利を有するものとなすべきである。

被控訴人は右損害賠償債権の時効による消滅を主張するが、控訴人会社が本件手形を有効に振り出されたものと信じて取得したことは右認定のとおりであり、満期に被控訴人によって振出の事実が否認され、支払が拒絶されたからといって、直ちに控訴人会社が不法行為によって損害を被ったことを知ったものとはなしえず、少くとも、本訴において被控訴人側から右振出が無権限行為である所以が主張され、被控訴人代表者長井秋穂が当事者尋問においてこれに照応する供述をした昭和三四年一月二二日までについては、前叙認定のような事情から手形の有効なることを信じていた控訴人会社の損害賠償債権の消滅時効が進行するに至ったものとなすべき理由は認められない。そして、遅くとも昭年三六年一〇月一七日の当審口頭弁論期日において、控訴人は被控訴人に対する損害賠償請求を明確にしているから、時効に関する被控訴人の主張は採用しえない。

しかし、市における市長の具体的な代表権限は、法令上各別に規定され、手形振出についても、前叙のとおり地方自治法第二三九条の二の定める制限の範囲内においてのみ市長の権限が認められるにすぎず、権限外の取引行為の相手方は、法の不知の故をもっては取引法上の保護を受けえない(その根拠は、地方公共団体の財政的基礎の安全確保にあるものと解される。)のが建前であるから、控訴人会社が右法令の制限に違反して振り出された手形を割り引いたため被った損害の賠償を、民法第四四条によって求めるにあたっても、法の制限の範囲内の行為と信じたことにつき、首肯するに足る理由が存したのでなければ、権限の存在を過失なくして信頼した者ということはできない。前叙認定の控訴人会社の信頼の根拠は、市長自身ないしその同行者の言動や、市長印等の存在にあり、市長の専断を抑止するためにある前記法の制限との関係においては、右の程度をもって充分な調査をしたものとは到底評価しえない。特に、本件手形の受取人欄が白地のままであり、また満期の一ケ月以上も前に市長自ら現金を持って決済に来る旨確約する等、市のため適法に振り出された手形にしては、異例と目すべき事情が附加されていた点に徴するときは、本件手形の効力はなおさら疑われてしかるべきであったといいうる。しかるに、控訴人会社においては、前記法令の制限に意を用いた形跡はなく、したがってその制限内における振出行為であるか否かを市議会等について調査することを一切しなかったのであるから、右手形が正当な権限に基いて振り出されたものと信じたことについて、過失のあったことは否定しえないところである。それ故、被控訴人の支払うべき賠償額の決定については、右控訴人欄の過失もこれを斟酌すべきである。

原審証人金月元次郎・当審証人木村昌治の各証言および弁論の全趣旨によると、控訴人会社は金月のため本件手形を割り引くにあたり、手形金額から、これに対する昭和三三年一月二八日以降手形満期まで五二日間の日歩三銭の割合による割引料二万六一三〇円を差し引いた金一六四万八八七〇円を同人に交付した事実が認められるから、控訴人会社が右手形を適法に振り出されたものと信じて取得したことにより被った損害額は、右金額に相当するもとのいうことができる。そして叙上認定の控訴人会社が右手形を取得するに至った経緯に徴すると、右損害中被控訴人に対して賠償を求めうる額は、前記過失相殺の結果、金八〇万円をもって相当とすべきである。

したがって、控訴人が当審において予備的に追加した被控訴人に対する損害賠償請求は、右金八〇万円とこれに対する損害発生後である昭和三三年三月二一日から支払ずみに至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があり、その余は失当として棄却を免れない。<省略>

(裁判長裁判官 長部謹吾 裁判官 入江俊郎 裁判官 松田二郎 裁判官 岩田誠)

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